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関西弁しか喋れないのに世界一周!?何故って?だって、単純に行きたいから。世界一周に興味がある人は勿論、チラッと見てはまるもよし、コウキチの近況に興味がある人はマストチェックでお願いします。
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2007年 03月 28日
早いものです。日本に帰国して10日が経過しちゃいました。
皆様、お久しぶりです。日々の忙しさを理由にブログの更新が止まっていただけで、決して面倒くさかったわけではありませんからねー。 最近もっぱら漫画にはまっちゃってて、昨日10年ぶりぐらいに本屋で新品の漫画本を買ったら、エッチな本を買うときぐらい異常に緊張しちゃったハッピー・アキです。 これがこのブログ最後の日記。長いけど読んでなー。 ---------------------------------------------------------------------------------------------- 3月16日15時20分。 サンチアゴを飛び立った僕は、飛行機の遅れで乗り継ぎに失敗しかけながらも無事成田空港に降り立った。NY経由で27時間。 バスだと27時間ぐらい楽勝なんやけど、飛行機の10時間オーバーは非常にだるい。 機内の気圧が800mに設定されているからか、窓の開閉が自由ではないからかとか色々理由があるからだろうが。。。 とにかく、 無事に帰国できました!!! これまで見守っていてくれた皆様、応援してくれた皆様、 ありがとうございました。 そして、ただいまー。 帰国してからは、 旅で出会った友人、これまでお世話になった友人に挨拶するべく、静岡、広島、名古屋、そして大阪と旅しておりました。 まずは静岡、 トルコのカッパドキアで出会った楽さん。 東京に住んでいると聞いていたので、ほなあいましょかーと約束したら、 なんと成田空港まで迎えに来てくれました。こいつは嬉しかったなぁ。 で、楽さん東京は高円寺から静岡に引越ししてまして、そのまま静岡までドライブと相成りました。 BGMはイエンタンバンド。懐かしさ満開です。 初の静岡。 楽さん宅の温もりとシャワーで心身ともにポカポカ。 そして、楽さんの手作り料理と静岡のはんぺんなどの郷土料理に舌鼓しながら話は弾むわけです。 翌日は駿河湾沿いをドライブ。 清水や浜松を駆け抜けるわけです。あいにくの天気で富士山は拝めなかったけど、 山と海の距離の近さ、日本家屋の素敵さ、そして綺麗な湾岸線と緑、と僕が好きな要素をふんだんに持つそれは魅力的な場所やった。 ふと前方をみやると、イチゴ狩りの看板と客引きのおねえちゃんが目に留まります。 10件以上の店舗から、それぞれ異なる客引き方法でお姉ちゃん(としましょう)が客を呼ぶ様は微笑ましい。思わず入りたくなっちゃう。 イチゴ狩り農園の合間にシラス売りの店もある。 そう、駿河湾は生シラスが有名。入ってみると、3月22日から漁開始とのことで今は禁猟中。 残念。それでも食べたかったので、冷凍していたやつを解凍してもらい食す。 やっぱ日本の魚はすげえわ。 口にシラスを入れた瞬間、魚の味が口いっぱいに広がった。 鯖や鰆など傷みやすい魚は、釣り上げた後すぐに痛まないように内臓を取りパッキングするし、 日本の魚は世界一やと再認識した。 静岡 続いて広島。 ここは僕の第2の故郷。 なんか単調になってきたからあっさり行くわ。 広島スペイン協会の発足1周年記念があるということで挨拶もかねてその会へ参加したり、元同僚と会ったり、これまたカッパドキアで出会った真由美ちゃんと再開を祝したり、難病を患った心友宅にお邪魔し親睦を図ったり、マブダチのいる名古屋に出向き旅であった友人達と共に再開を祝したり、名古屋でも元同僚と会ったり、気になるあのことあったりと、まぁ色々した。 そして、20日大阪に帰った。 親とご先祖様に挨拶する。 実家は心底良い。心から落ち着く。帰ってきた実感が沸く。 親は相当心配していたようで、めちゃくちゃ喜んでくれた。 やっぱ、日本は好きやわ。 ●国全体に漂うこの安全感。 電車の駅で荷物を置いて電車待ちしている人を見たとき、衝撃が走ったわ。 僕なんかエクアドルで5秒、たった5秒だけ荷物から目を放した隙にバックパック一式盗られたっちゅーねん。 ●トイレの綺麗さ。そこら辺の店で借りれるし、空港じゃないのに紙がある。すげぇ。 ●だいたいどこでも水が無料で飲めるこの素晴らしさ。 ●さすが風呂好き国家。湯船につかれるし、お湯の量も半端ない。 銭湯に行ったときのあの満ち足りた感覚。一生忘れないやろう。 ●道路も店も公共施設もやたら説明があり丁寧。電車に乗ったとき広告の洪水に酔いかけた。 ●海と山が近い。瓦屋根と凄い合っている。 ●言葉が通じる。これは正味相当嬉しい。聞けば完全に事足りる。しかも迅速に。 しかし、何よりも感動したのが、日本語の素晴らしさ。 世界で一番複雑なんやちゃうんか?という文字の種類。 漢字、ひらがな、カタカナ、記号がミックスされとる。 古く名づけられた言葉の美しさ。 特に草木の名前が素晴らしい。 例えば、 ・沈丁花(じんちょうげ) 香りは沈香(じんこう)という香りに似ており、葉の形が丁子(ちょうじ)という植物に似ているところから名付けられた。 ・柊(ひいらぎ) 葉は固くてギザギザ(さわると痛い)。さわると「ひいらぐ(疼く。ひりひり痛む)」ことから、「ひいらぎぎ(疼木)」となり、次第に「ひいらぎ」になった。 ・杜若 (かきつばた) 昔、花の汁で布を染めたので「書き付け花」となり、だんだん 「かきつばた」に変化していったらしい。 「燕子花」とも書く。 ほかにもいっぱいある。 名前の由来も含めてなんか素敵じゃあありません? 戦後付けられた名前は、カタカナで表記したり、色や形をそのまま名前に当てはめたりして、美が感じられない。 動物が多いけど、例えばグンカンドリ(雄が繁殖期に軍艦に似ている)とか、花ならチューリップとか。 日常的に使っているから以前は違和感がなかったけど、帰国後日本語の美を知ってからなんか違和感を感じてきた。 出発前、旅行に行って自分変わるかな?って疑問やった。 でも、今はわかる。。旅行に行って明らかに変わった 価値観、金銭感覚、優先順位の付け方、食の好み、物事の視点、数えたらきりがない。 例えば、 別に高いものはあんまし食べてないけど、新鮮な食材・農薬を使わない食材を食べてきたからか、舌が肥えた。 無駄なこと(別に出さなくても問題ないこと)にお金を使わなくなった。 それでも、友達としゃべっている時は、あんまし気づかれないけどね。 なんやー、全然変わってないやん!って。 帰国してから10日が経過した。 ボサボサの髪も切り、服装も小奇麗(まとも)に戻った。 実家に長いこといては甘えて人間駄目になるので引越しの準備も始めた。 いよいよ来週月曜日から新しい仕事が始まる。 第3の人生の始まりである。 楽しみのドキドキと共に、不安のドキドキも生じてきた。 今回の旅でいろんなことを考え実践することが出来た。 特にエクアドルでバックパック一式取られてからの1月半。最高やった。 旅していることがそのときの人生に昇格した。 それまでは、なんか旅人を楽しみながら演じていた気がする。 生きることの本質みたいなもんを自分なりに掴めてきた気がするし、 何が大事で何はいらんかみたいなこと、 なにより自然体の自分で気持ちよかった。 人は言うやろう。 そりゃ好きなことしているんやから、楽しいやろうって。 確かにそうやな。旅は最大の道楽やと思う。 でも、ほかの道楽とはちょいと質がちゃう。そんな単純やない。 例えば、近場の好きなところ好きなだけいって、好きなもん全部買って、好きなもんだけ毎日食って、欲しいもん全部ゲットできる。そんな生活を半年間やってみる。 なんかつまらなくない?僕はつまらない。飽きるし人間腐ると思う。 それよか、誰にも気を使わん、規則正しい生活をし、素晴らしい食材で必要なだけ腹と心を満たし、時に刺激も得る。 そんな生活を半年強すごせた今回の旅。最高やん!無茶もいっぱいしたけどね。 単純に旅をしたから最高なんじゃなく、旅を通じて自分が心地よいと思う自然体の生活を体験できたことが最高やったんや。 マスターカードのCMじゃないけど、お金では決して買えない価値が得れた。 お金は必要やけど、すべてじゃあない。カバン盗られるまで毎日気にしてたけど。 人生において、凄い大事なことを得ることが出来たと思う。 でも、これから生きるためには、当然お金を稼がないといけない。 僕は実家が自営業をしているので、4月からその仕事を継ぎます。 自分で選んだ道やから後悔ゼロやし、迷いなんて当然ない。 いっちょやったるかってやる気満々やで。恵まれている立場やしね。 でもね。正直に言わせて。 先日銀行に父親と挨拶に行きました。 銀行員の相手の顔色を伺うやりとり。当然でしょ。僕も昔当たり前のようにしてましたよ。 これが、なんか身に染みた。ずーんって重く腹のそこまで落ちた感覚。わかる? 仕事をする上で、これは避けては通れないこと。僕の立場だと尚更。そうでしょ? 僕の不安というのは、こういったやり取りを日常的に使うようになったり、仕事に溶け込むにつれ、旅で得た人生の本質見たいな事達を失ってしまうかもしれないということ。 1つ溶け込むたびに、1つの大事なことを後ろにぽとりと落とすような不安。 人間自然体が一番気持ちよい。 本音が一番楽く。 多くの人がそれはわかっていると思う。 仕事を楽しむ。僕には楽勝。前の職場でもそれは出来た。 そこで、今後の僕の試練(楽しみ)は決まった。 仕事を3年で完全にマスターし、かつ自然体でこなす。 一人前になるために6年は要す業界である。 そして、前職はまったく関係ない仕事をしていた。ようは素人である。 そこに自然体でという高度なオプションが付く。 かなりハードルは高いけど、頑張れば出来る気がする。 やったります。 僕の夢は、自然いっぱいの田舎で半分でも自給自足をし、おいしい野菜を安く手軽に広めること、日本全国の郷土料理を再発掘することです。 ですが、来週から始まる仕事も趣味になるぐらい楽しんでやったろうと思っております。 半年にわたり、ありがとうございました! 皆様に素敵なハッピーが訪れることお祈りします。 では、さようなら。 P.S.今後はmixi上に日記を書きますね。 2007年 03月 15日
やっとというか、ついにというか、、、僕的には[もう]って感じですが、、、
サンチアゴから飛行機で4時間半、南海の孤島、ポリネシアの東端は[イースター島(ラパヌイ)]にやってきました 。 空港に着いたのが10日の14時半。空港を出ると、キャンピング・ミヒノアのロジェが僕の名前を掲げたプラカードを持って出迎えてくれた。 先に行っていたワールドトラベラー夫婦が予約してくれたみたい。一回のみ行きますと言っただけなのに。 ちょい感動している僕にロジェが花飾りを首にかけてくれる。 ここからが、僕のスピリチャル・イースター島滞在記の始まりやった。 ロジェのトラックに乗ってキャンプ場に向かう。 着いてすぐ、ワールドトラベラーのこーいちさんが、マグロ上がったぞーとの歓喜を轟かせて走ってきた。 そう、イースター島のもう一つの名物は取れたてのマグロが食べれること。 でも、今は時期じゃないので食えるかどうか厳しいかもといわれていた。 それなのに、ついた瞬間、ありつけるとは。。。 購入したのは8Kgのキハダマグロ。結構重かったっす。 同じ便に乗ってきた仲間でシェア飯をすることになり、そのうちの2Kgを購入。 刺身、タタキ、煮物、アボカドマグロ丼、カルパッチョ、竜田揚げ。。。 この日のために食材は用意しております。バックパックの半分も。 魚を捌いてもらっている間、街を散策することに。 海岸通を歩く。おおぉーー、遠くに見えますのは、裸族ですか? ![]() 違います。地元の釣人さんでしたわ。赤ふんやもん、裸族じゃあないよな。 気合入りまくりのこの人、触れてはいけない人かと思い、恐る恐る近づき釣れますか?と聞くと、あたりまえやんけー、ぎょうさん釣れまんでー、っと即座に返事が返ってきた。 やってみようじゃありませんか。 っということで、明日にでも行こうかと釣具屋を探す。 あったあった、というか、1件の雑貨屋で売られていた。 タックルを迷っていると、地元の釣人のおっちゃんが近寄ってきた。 なんや、しらんのかー。おっちゃんが作ったるわ、とまだ買ってもないのに勝手に作り出した。 2本針を0.5mmの糸につけ、それに木でできた浮きをつけたら完成。ハリスはなし。 シンプル・イズ・ベストなのだろうか。 どこにいくんやと聞いてきたので、 赤ふんオッサンのところというと、 そいつはあかん。あっこはつれんから俺の車に乗ったらええ。 との衝撃の発言。 面白そうなので付いていくことにした。 ついた場所は、断崖絶壁で波がガンガン上がってくるデンジャラスゾーン。 しかも、荷物になるので竿はなく、いわゆる手釣です。 おっちゃんは、エサの生鶏肉を豪快に口でちぎり針に刺し、崖のうえからひょいと20m下に投げ入れます。 パンで撒餌。そしたら寄ってくるよってくる。グレやカワハギやハタみたいなヤツが。 5分ぐらいで1ひき釣りあげたおっちゃん、釣上げるなり、口ですぐさま絞め殺した。 2ひき目釣れた際、真似したけど硬くて僕にはできなかった。 このおっちゃんは、ものの30分の間に僕の心を虜にしてしまった。 だって、なんでも口でやるし、とにかく豪快、無駄がないんやもの。 50cmのカワハギも含め、この日釣れた魚6ひきはすべてもらうことになり、しかもキャンプ場まで送り届けてくれた。 イースター島に着いてからまだ5時間しかたっていないのである。 展開が早すぎてついていけなくなりそう。 この日の夕食は、マグロざんまい、釣った魚ざんまいの最高に豪華なディナーになった。 ちゃんと供養しましたとも。 翌日は、車をレンタルして3人で行動。 モアイの石切場であるラノ・ララク(Rano Raraku)と朝日を見るポイントであるトンガリキ(Ahu Tongariki)に向かう。 モアイ製造場というだけあります、ラノ・ララク。 埋まって鼻から上だけ出ているモアイ、今まさに切出し途中のモアイなどなど、100体以上のモアイが丘に並んでいた。 5つ星になるんやないかな。 ![]() ラノ・ララクの近くにあるトンガリキ。 日本の会社(タダノ)が修復した15体のモアイがあることで有名。朝日を眺めるならここである。 この日は昼間に来たので、翌朝また来ることにする。 全部回らずに、宿のあるハンガロア村(HANGAROA)に17時に戻る。 だって、昨日の釣りが面白すぎてまたやりたくなったから。 師匠に家に遊びに良くも、あいにく不在。 仕方ないから、昨日のポイントに向かってみる。 断崖絶壁からの手釣も段々慣れてきて、いつしか崖の先端に立っていた。 昨日はグレをつったけど、今日はハタをつったどー。 カラファテのリベンジうったどー。 ![]() そして、帰るころ、家まで送ってくれないかと彼ら。 現地人をヒッチです。ここでは当然のよう。 途中、止まってくれというので車を降りて外に出る。 すると、頭上スレスレを飛行機がかすめていった。 あんな近くを飛行機が飛ぶなんて。。。おしっこちびりそうになりました 。 夫婦を家に送っている間も話は盛り上がり、ほんじゃあまあ、俺の家にこいやということになったのでお邪魔する。 なんか、ラパヌイ(イースター島の現地での呼び方)の人たちって、ほんまあったかいな。 家にお邪魔すると、5歳の息子と3歳の娘が出迎えてくれた。 ![]() と、はしゃいでいたら、隣にいた夫婦が話しかけてきた。 これまた、ここでの釣りについていろいろレクチャーを受ける。 ラパヌイ式の魚料理をおとっちゃんが振る舞ってくれる。 内臓を落とした魚に、塩/にんにく/タマネギ/バター/オレガノを振り掛けオーブンで焼くだけというシンプルなもの。 こいつを手で食べる。これがまた美味い。 魚の味、匂い、食感をダイレクトに味わえる。 食後は、愛くるしい子供たちと踊ったりして楽しむ。 スペイン語があまり喋れないのでうまく伝えれないこと、聞き取れないこともあったけど、この日も素敵な1日を過ごすことができた。 ちなみに、この夫婦。そんじょそこらの日本人より魚好き。 心臓は生でそのまま食べ、腸は中のじごをとって食べる。こいつがコリコリしてておいしい。 その他の内臓もスープで食べ、焼き魚は最後の最後まで身をしゃぶってでも食べていた。 僕も負けてられるかと猫もまたぐくらい食べ切った。 翌朝は、眠い目をこすりつつも観光に出かけます。 まずは、朝日を見にトンガリキ(Ahu Tongariki)へ。 夜が開ける直前に行ったかいもあり、暗やみからぼーっと15体のモアイが浮かび上がるところから、朝日がモアイのすき間から抜けてくるところまで見えたで。 ![]() ちょっと時間がなくなってきたので駆け足で。 ・テ・ピト・クラ(Te Pito Kura) この島に初めてやって来た村長が持ってきたとされる不思議なツルツルの石。 触ると力をもらえると釣人夫婦に聞いたので、思う存分抱きついた。 ![]() ほんで、その近くにある最大級のモアイ。 モアイ戦争で倒されたままの状態になっている、いろいろ考えさせられる場所。 ![]() 唯一海に向かって立つモアイ。モアイは権力者の家の方角を向いて立っていたらしい。 だから、海岸沿いのモアイは内陸を向いていたんやね。 ![]() 他にもあるんやけど、時間がないから無理やわー。ごめんな。 夜は満点の星空を眺めながらテントで就寝。 夕日を見にお気に入りスポットへ走ったり、宿の犬と一緒に散歩したり、ラパヌイ風教会でのゴスペルを聞いたりしたりとこれ以上なく充実した4日やった。 とうとう旅のゴールに来たんやな。 なんか、あっけなかったわ。 南米はこれまでトラブルが多かったからねェ。 今から荷作りをして、1時間後にはサンチアゴ空港に向かいます。 ついに、帰国です。 まだ日本に帰ることが信じられません。そろそろ感慨深くなるんやろうか。 そんな話は帰ってからゆっくり話しましょうや。 今まで応援ありがとうございました。 家にたどり着くまで、もうしばらくよろしくお願いします。 昔、小学校の先生に教えられました。 遠足は、家に帰るまでが遠足よと。 ちなみに今後の予定はというと、16日の15時前に成田空港につき、その日は静岡に1泊、17日はお世話になった広島に1泊、1819と名古屋に泊まって、大阪に戻る予定です。 2007年 03月 15日
春風はそよそよと心地よいもの。睡魔が毎日のように襲ってきませんか?
旅に出て早7ヶ月近く、すっかり日本にいる時より健康的な生活をしているハッピーアキです。 北パタゴニアを満喫したら、お次はメインの南パタゴニアじゃい。 ということで、バリローチェから飛行機でカラファテに向かった次第です。 風が強く、バリローチェの空港で待たされること6時間。 カラファテに着いたのは、深夜12時を回っておりました。 もう、くたくたな僕、でも宿に入ってびっくり。 ブタペストで別れたサブローさんがいるではありませんか? 疲れた体もなんのその、この奇跡的出会いに感激して朝まで語り明かしたそうな。 殆ど寝ずに翌朝7時半、パタゴニアのハイライトともいうべきペリトモレノ氷河を見に出発やで。 パタゴニアは、豪雪地帯にもかかわらず夏は気温が上がるため、世界の中でも氷河の移動が盛んと言われている。 その中でも、ペリトモレノ氷河は特に動きが活発で夏のこの時期、崩落がばしばし見れるという。 そして、移動が盛んということは、溶解/氷結を繰り返すわけだから密度も濃い。 密度が濃いということは、屈折率が高まり氷河がより青く見えるというこっちゃな。 どないでっか?期待高まりまへんか? だから行ったんですわ。ということで、バスターミナルへ。 某ガイドブックには、ツアーでしかいかれへんと書いてますけど、そんなことあらへん。 普通に夏は毎日何便か往復バスが出てます。そんなバスに乗り込み、まだ薄暗い町をたったわけですわ。 ライトの灯に導かれるかのようにウサギがバスの前を横切ります。 その数が半端ではない。1時間の間に何十羽とくるわけです。道端には引かれた帰らぬウサギもゴロゴロと。 それを狙う、鷲さんも両わきにずらりと並んでいます。 自然の質がこれまでと全く違う。 そのとき、そう感じたのでありました。 空が白み始めると、遠くに氷河を抱いた山々が見えます。 その中の1つにペリトモレノ氷河がありました。 バスが展望台の前に停車する。バスを降りる。展望台まで向かう。 こんな映像が視界180度に展開するわけです。 ![]() そりゃあ感激するはなあ。ほんま。1時間ぐらいぼーってしてたわ 。 ほんで、ほんまに30分に1回ぐらい崩落があるねん。 遠くからだと小さく見える崩落でも、めちゃくちゃ音がでかい。 静寂を打砕き、腹のそこまで響く感じ。自然って凄いって改めて思う。 もっと近くに見たいから展望台の下まで降りる。 氷河の頂が僕の目線と同じ高さや。 よりリアルに崩落の瞬間が味わえる。 ![]() でも、それでも満足できない僕は、近くに氷河クルーズがやっているのを知り早速申し込む。 ツアー会社で申し込むと30ドルぐらいするけど、直接申し込むと15ドルぐらい。 乗ったらまずやること。スコットランド産スコッチに氷河を入れて飲むこと。 スコッチは苦手だけど、こればかりはやらないでか。 ![]() 船はほんま氷河のま近くまでよります。1度、崩落が起こす波で転覆しそうになったほど。 近くで見ると、この氷河。やっぱりでかい。 それもそのはず、全長35Km、表面積は195Km 、見えている先端部の幅は約5Km、ほんで高さは60m もあるんやから。 そして、やっぱアオイわぁー。聞いていた噂はほんまやった。 やっぱ、自分の五感で確かめることって大事やな。 ![]() 翌日も全然寝ないで早起きし、弁当にサンドイッチを作ったら出発です。 フランスパンに、ハム、チーズ、スクランブルエッグ、トマト、アボカドを詰めたアキスペシャルやで。 カラファテから行けるもう一つのハイライト、エルチャルテンへのトレッキングです。 前日と同じく8時前のバスに乗ること4時間。 車窓からエルチャルテンの代名詞、フィッツロイ山が見えてきた。 ![]() エルチャルテンの町についたら早速トレッキング開始。 知り合ったチェコ人のユリカと一緒に歩く。 日ごろの行いがよいのか、快晴だったのでフィッツロイ山ではなく、トーレ湖に向かうことにする。 やっぱりトレッキングは良い。 心地よい風、新鮮な空気、美しい眺め、小鳥のさえずり。どれもが体中をリラックスさせてくれる。 それに運動もよい。 運動するからより健康になれる。シャキシャキ動ける。運動するからシャワーがより気持ち良い。運動するから飯がよいおいしく食べれる。運動するからビールがよりうまい。 皆さん、運動は大事ですよ。毎週少しずつでもしましょうね。 時おり望むフィッツロイ山やトーレ山の雄姿にやる気を充電してもらいながら歩くこと3時間。 ついにトーレ湖の湖畔にたどり着いた。 ![]() トーレ山をはじめとするこの壮大な景色。トーレ湖にはトーレ氷河が流れ込み、トーレ山の脇にはEgger/Stabdhardt/Cerro Pier Giorgioなどの名峰が軒を連ねる。 来て良かったーって、このときほんま思った。 目的を達成したので意気揚揚と引き返す。 水がなくなったので、氷河が解けた沢の水でのどを潤す。 トレッキングを3時間してチャルテンの村に戻ったら、ユリカとビールで祝杯をあげる。 そこからバスで4時間、乗った瞬間寝てた。そして、宿に戻ったのは23時。飛ばしマクリである。 翌日はさらに飛ばします。カラファテには、釣人たちの夢の地ロカ湖があります。 宿の主人がツアーをやってくれるというので有志を募り、マス釣りに出かけることにした。 早朝6時に宿を出発です。例のウサギをよけながら走ること1時間、ロカ湖に辿り着きました。 柵を飛び越え湿地帯に入っていきます。朝靄が湖にかかりなんとも美しい景色。 ![]() 白ワインを飲みつつ、マスをつる。前方にはペリトモレノ氷河が見える。 これだけで満足じゃあ無いですか? えっ?で、何びき釣ったかって? 坊主といったら分かってくれるかな。。。ははは。。。 サブローさんや今回で3回目という達人はバシバシつっていたけどね(泣) なんで釣れないんやー。絶対リベンジしてやる。 カラファテの町の名前の由来になったカラファテの木にはブルーベリーのような実がなります。 その実を食べた人は、またきっとこの地に帰ってくるという言い伝えがあるという。 僕は、道端になっているこいつを50粒は食べました。絶対リベンジします。 早かったパタゴニアの旅も終わり。駆け足だったけど満喫したわ。 カラファテ空港に行き、釣れたマスも食わずに待つ。 最初1時間遅れといっていた飛行機は、結局5時間遅れて着きました。 マス食べてきたら良かったわ。でも、釣ってないから次回やな。 2007年 03月 10日
パタゴニア
------------------------------------------------------------------------------------------ パタゴニア(Patagonia)は南アメリカ大陸の南緯40度付近を流れるコロラド川以南の地域の総称。 1520年にマゼラン(マガジャネス)がこの付近に住んでいた先住民をみて、パタゴン族と命名した。パタはPata(足)、ゴンはGon(大きい)という意味である。パタゴン族の住む土地といことからパタゴニアという名がついた。 年間を通して低温、風が強い。この風の強さがパタゴニアの代名詞とも言われている。 イギリスの探検家、エリック・シプトンはこの地を嵐の大地と呼んだ。 そして、パタゴニアといえば、ロス・グラシアレス国立公園、パイネ国立公園といった国立公園がトレッキングポイントとして、またフィッシングポイントとして、また。。。として有名。。 氷河地帯、乾燥地帯、森林地帯、などなど、日本の国土の約3倍の大地を持つその場所は、地域ごとに様々な顔をもっている。確実にいえることは、どこも大自然があるということだ。 ------------------------------------------------------------------------------------------ こんにちわ、この世知辛い世の中、皆様は今日という日をいかがお過ごしでしょうか? ハッピーアキです。どうも。 旅程が残り1週間を切り、センチメンタルな気分になっているなんて変な憶測はやめてくださいね。 そんなこと、あるわけぁない、ないじゃあ、ないよなうん、ないじゃあないですかーーー。 これまで何度も書きましたけど、僕は自然が大好きです。 パタゴニアといえば、自然の代名詞ともいえるところ。 気にならないはずがありません。 でも、鞄の件(盗まれたあげくたあげく買ったのもボロボロ)もあり諦めようかと思っていたのですが、頭の半分ぐらい気になり続けていた。 そんな中で、たどり着いたチリの首都はサンチアゴ。 残り最後のルートを決定するべく情報と出会いを求め、日本人経営の宿[ペンション内藤]に転がり込んだ。 運命とはあるんですね。 その日知り合った人、皆パタゴニア帰りでした。 気になるから聞いてしまうでパタゴニアの話。 これまで曖昧だったパタゴニアのイメージが、おぼろ月から雲が晴れて月夜になるように綺麗さっぱり晴れていった。 でも、パタゴニアは広い。どこを見たらよいんじゃ? そんな中ででてきました。こんなお言葉。 大氷河が崩壊する瞬間なんて、時期的にも場所的にも世界中そうそうないよ。 僕だったら、金を積んでも行くな。 これはいかなきゃいけんやろ? というわけで、比較的陸路にこだわっていた僕ですが、さっぱりこだわりを捨てて航空券をゲットしにいったわけです。 しかも翌日のやつを。 さすがに今はシーズン中。かなり苦労したんやけど、変則ルートを決め込むことでゲットできました。 そして、宿に戻りパッキングしたら翌朝出発です。 思ったがすぐ行動が吉。 これが僕のモットーだから。 北部と南部、それぞれのパタゴニアを見たかったので、南米のスイスと名高い美しい山並と街並が有名なサンカルロスデバリローチェ(バリローチェと省略される)と、氷河を見るならここといわれるエルカラファテに行くことにする。 まずは南米の富士で有名な活火山[オソルノ山]がある町、オソルノにバス向かう。 サンチアゴから14時間。オソルノに着くころは既に21時を過ぎていた。 この時期のパタゴニアの日は長い。ちょうど夕焼けに染まるオソルノ山を車窓から眺めながら町にたどり着いた。 オソルノ山は頂に雪をかぶらせており、傾斜も急。 遠くから見ると、少し小さい富士山みたいに見えた。 翌日、アルゼンチン側パタゴニアの玄関口であるバリローチェへ向かう。 オソルノの町を出てしばらくすると、バスは山間部に入った。 道路の両側に豊かな針葉樹林が広がる。しばらくすると、厳しい自然を彷彿とさせる荒っぽくて黒い岩肌が見え出した。 チリの国境を抜けてアルゼンチンに入ると、雰囲気はさらにガラッと変わる。 なんというか、緑が青々としてきた。すんげぇ青いの。 ほんで、山々の頂に万年雪がお目見えし出した。 山の多くは、太古に氷河に削れてどれも形が面白い。荒々しい岩肌が丸見えになっている。 そして、山の周囲にこれまた氷河でできた氷河湖が形成されている。 しかも、1つや2つじゃあ無い。あたり1面がそんな感じ。 もう、ぼけーってするだけだった。 15時、バリローチェのバスターミナルに降り立った。 降りた瞬間、ものすごい風で体が持っていかれそうになる。 そうか、風の大地についにやってきたんだと納得。 あたりを見渡す。ログハウス風のお洒落な家々の背後にどーんとそびえる山、山。 反対を見やれば湖がばーん。水の青さ、空の青さに驚く。 宿にチェックインしたら、周囲の景色が一望できるカンパナリオの丘に上る。 リフトが遅くて閉まっていたのでミニトレッキングです。 地図なんてないけど知るかい。1時間かけて登ってやった。 頂上はさらにすごい風。目がしょぼしょぼするわ。 展望台の中に入ると、管理人が双眼鏡を貸してくれた。 でも、リアルに見たかったので、あえて外に出てみる。 教会みたいな形のためネーミングされたカテドラル山、このあたりで最高峰のオットー山に代表される山々、その眼下に広がる無数の湖。そして川。 雲のすき間から光が差し込み、湖を照らす。 続いて。その光が山々を照らし、辺りがほのかに白くなる。 普通にきれいな景色や。 現地人4人組が登ってきたので挨拶する。皆、ヒッピー風。 この時間帯のここからの眺めが好きなんだそうだ。 英語とスペイン語と気合を武器に会話を弾ませる。 すっかり打ち解けてマテ茶をご馳走になりながら馬鹿な会話に花を咲かせた。 日も落ちてきたので下山。 どこからか黒い犬がやってきて道案内をしてくれたので迷わなかった。 下山しきると、その犬はいつのまにかいなくなっていた。 先程の4人組が車に乗ってけよと合図。素直に乗車する。 宿があるセントロまで約10Km。 当然、宿まで送ってもらえると思っていたらほかの3人とともに5Km地点で降ろされた。 俺の家は向こうだからというのが彼の言い分。 でも、皆はごく当たり前のように歩き出す。よっし。そういうことね。 夜道を4人で歩いた。 月明かりに導かれるように話をしながら黙々と歩く。 あすの予定を聞いてきたので、飛行機でカラファテに行くことを告げる。 無理やりねじこんだためタイトなスケジュールは仕方ない。 すると、彼女、明日は一緒にバーベキューをしたかったなと揺らぐ一言。 でも仕方ないんです。氷河見たいんです。釣りしたいんです。トレッキングもしたいんです。 飛行場まで一番安く確実に行く方法をサルでも分かるぐらい簡単に教えてくれて、今日知り合ったアミーゴたちと別れた。 この日も素敵な夢が見れた。 2007年 03月 06日
こんちわ。1週間は書けないとかいいつつ、ちゃっかり書いちゃっているアキです。
やっぱ、PCがあると書いちゃうよねー。半年ぐらいじゃあ、この癖は直りそうになさそうやわ。 ----------------------------------------------------------------- ウユニツアーも終了し、チリのサン・ペドロ・デ・アタカマに到着しました。 ボリビア、アルゼンチン、そしてチリの国境にまたがるこの町。 一年を通じてほとんど雨が降らないという。まさにカラカラの町。 家々の壁も土壁というか、日干し煉瓦で出来ていて、道路も未舗装でやんす。 砂煙が目に染みます。なんかモロッコを思い出させてくれるわ。 ていうか、 どうしよう。。。。 10日にイースター島に行く以外、ルート決まってません。 本当はパタゴニア行くつもりでした。 でもね、バックパック取られて、上着とかタイツとかなくてね。 デイバックもなくてね。 ぶっちゃけ、機材ぜんぜん無くてね。 そんなことより、20ドルで買った新バック。 いきなり敗れてきているわ、チャック潰れているわで不安MAXなわけ。 だからね。 アルゼンチンワインといったらメンドーサといわれるワインの産地に行って、その後、パタゴニアの玄関口「サン・カルロス・バリローチェ」に行って、そのままチリ沿岸の魚介類の宝庫「プエルト・モン」に行こうかと計画したわけ。 メンドーサは3月4日からワインフェスタがあるから、参加したかったしね。 でもさー。いきなり予定変更ですわ。 メンドーサに行く為の、フォロクーレの残る町サルタ行きのバス。 1週間、いっぱいでキャンセル待ちです。 みんな、考えていること一緒? アタカマはさー、チャリで砂漠でも回ろうかと思っていましたが、砂煙で外出不可能だったので、中庭でハンモックに揺られチリ産のワインでも飲んでまったりしていました。 でも、やっぱり行動好きの僕は、翌日動きたくなって、アタカマから5時間のアントファガスタという町まで移動。 チリ北部最大の街。アントファガスタ。観光客はほとんど居ない。 来て見て分かった。 見るところが無い。 ぜんぜん、ない。 でも、結構都会。じぇんじぇん南米っぽくない。 というわけで、その日の晩に「ラ・セレナ」という町に移動することにした。 アントファガスタからバスで約12時間。 正直名前に惹かれてきたこの街。 ラ・セレナとは、スペイン語で「落ち着いた」という意味みたい。 「落ち着き」を僕は求めていたのか??? 白壁に彩られた旧市街の街並み。 人々の待ち行く足並み。 徒歩20分で5kmに渡るゆったりした海岸線に出れる。 確かに落ち着いている。 昔、ここに来たことある!?って錯覚したほど。 知り合ったチリ人が家に泊めてくれるというので、しっかり確かめて2日間お世話になった。 初日は、市場でチリと言えばの魚料理を満喫し、海辺に1人でたたずみに行った。 虚しくなったけど(泣)、なんかその感覚が良かった。 翌日は、この町の特産はというと、パパイヤとチリが誇るブドウの蒸留酒「ピスコ」ということで、パパイヤ農家とブドウ農家とピスコのブランド「CAMPEL」をフルフルで廻るツアーに大盤振る舞いで参加した。 綺麗なミニバスに乗って町を出ること10分、道路の両脇に見える景色は、パパイヤとブドウの畑に染まります。 灌漑を利用して作られた畑。 その上には、岩砂漠が広がるなんとも素敵な景色。 ●パパイヤってこういう風になっているんだー。 ●昼食で食べたレストラン、太陽光の熱を利用してパンや煮物とサラダ以外の料理を作っている。 すげぇー。うめー。 ●ピスコって出来るまで4ヶ月くらいかかるんだ。工場全体がブドウの匂いや。 ●COPAOというキャッスル・アップルというキューイ見たいなフルーツを食した。 ●ブドウ畑に支えられた村を見た。人々の生活が自然と溶け込んでいる。素敵。 ●ドイツ人と南アフリカ人の知り合いができた。 感じたことはこんなところか。。。 ウユニに比べればたいしたこと無いかな。 でも、これはこれで、僕のたびに必要なことだったんだろうな。 なんか、ゆっくりできたので、チリの首都はサンチアゴに向かうことにした。 首都に行くと、大都会はあまり好きじゃないけど、いつも何か刺激を貰う。 次はどうするか?メンドーサにいこうかな。残り2週間をきった。どうしよう。 2007年 03月 03日
南米自然編のハイライト。ウユニツアーに関する日記です。
もし、前編をまだ見られていないようでしたら、まずは先に前編をどぞー。 そのほうがよりリアルに世界に入れますよってに。 ささっ、遠慮せずにささー、どぞー。 ------------------------------------------------------------------- そんなわけで、車は上下空という、空と湖面の違いが分からないっちゅーか、何がなんだが分からないちゅーか、もぅーなんなん?っていう鏡の世界を進んでいきます。 歓声は穏やかに収まり、車内で聞こえてくる音は、車のエンジン音、塩水を車が掻き分ける音、そして乗客の息音だけ。 やけに静かだ。エンジン音が耳につくが何故か心地よい。 しばらくすると前方に塩のホテル[PLAYA BLANCA]が見えてきた。 今晩の寝所だ。 遅めの昼食を食べたら、ほかのメンバーはジープに乗って去っていった。 どうやらここで泊まれることを知らなかったのと、日帰りツアーだった様子。 ついでに運転手も帰っていった。明日の12時にまた来ると言い残して。 というわけで放置プレーのできあがりである。 現在は15時だから、えっとー、20時間以上もこのなんもないとこにいなきゃあいけないことになる。 せっかくだから楽しもうじゃないか!!!、とデジカメを使ってこの非現実な世界をどうにか写真に収めようと励む。 これが本当のスカイウォーク??? ![]() 影と鏡の湖。なんかよくない? ![]() でました。夕日に向かってジャンプです。 ![]() この日、塩のホテルに宿泊する客は全部で7人だけ。 湖が夕日に染まるころ、皆さん戻られてきました。 夕飯は、 たった1本のロウソクの火を囲んで皆で食事。 塩のテーブルに料理を置き、塩のいすに腰掛ける。 勿論、壁全体も塩。 ロウソクの火が周囲を照らすと、洞窟で飛行石が光るように(ラピュタの世界です)ほのかに白壁が赤く染まる。 雰囲気抜群である。 部屋に戻り、窓から夜空を見ながら持ってきたビールで晩酌する。最高のひととき。 雲が出てきて星空は厳しいと思っていたけど、どうしてもみたくてずっとまっていた。 そして、23時。しびれを切らして寒空の下に立つ。 気温は5度未満。足は濡れたら嫌やからサンダルである。 震えながら上を見上げる。 高山ということも手伝って、そこには見たこともない満点の星空が瞬いていた。 下を見やると水面に星が反射してきれいや。 しばらく下を見た後、再度上を見やる。 またもや感動する。なんども下を見たり上を見たりして感動した。 何回でも感動できる。そんな星空だった。 流星を10個みたところで部屋に戻り、幸せのうちに眠りにつく。 翌朝、目が痛くて開けられない湖に再度出て、この現実のおかしさを確かめたら迎えのジープを待つ。 約束の12時から遅れること2時間。ぼろぼろに変わり果てた別のジープが迎えにやってきた。 ただし、メンバーが良かった。 ドイツ人のキュートな女学生2人、南アフリカ人の綺麗なお姉さん2人、そしてめちゃくちゃファンキーでおもろいチリ人。 面白そうな旅になるでと思ってたら、走り出して30分後、湖の真ん中でジープは止まった。 湖面に張っていた水はどこかにはけていて 、一面乾いた塩畑が広がっていた。 最初の1時間は下に降りてワイワイ楽しんだ。 次の1時間はブーブーいいながらも、しゃーないなと大げさにジェスシャーして笑いあえた。 その次の1時間は、予定とはちゃうけど、食事をドライバーに作ってもらって腹を満たした。 ドライバーはずっとボンネットを開けていじくっている。 なかなかエンジンがかからない。ドイツ人の女の子がママーと叫んだ。 車が止まってから3時間半後、日帰りツアーから戻ってきたジープが続々と集まってきた。 みんなで修理大作戦である。 そして、さらに1時間後、エンジンがついにかかり、僕らの戦争は終わった。 さすがに塩しかない灼熱地獄に5時間近くもほられたら気が滅入りそうになります。 この苦労を分かちあえて、メンバー間には減んな団結力が芽生えた。 ジープは、この日の観光の目玉だったIsla de Pasca(魚の島)を5分で終了させ、陸地のホテルとへと向かう。 日に沈む夕日を受けて、大きなクジラの形をした雲がオレンジ色に輝いていた。 ホテルが近くなったころ、この前の雨の影響で地面がなくなりまたもやストップ。 太陽はすっかり沈んで闇だった。道をする 回り道することになると思ったらエンスト。ドイツの娘がまたもやママー。 みんなでジープを押してエンジン始動。 そんなことを何回か繰り返し、ホテルに無事ついた。 時間は予定を大幅オーバーの22時だった。 翌日からもジープのエンジンは冴えなく1日4回ぐらいは止まった。ランクル頑張れよ。 でも、僕らも慣れてきて車を押したりすぐに手伝えるようになった。 砂漠地帯を駆け抜け、ドラゴンボールに出てきそうな岩砂漠で岩山に上ったり、ピンク色の湖でフラミンゴをみた。 そして、最終日、早朝に起きてチリとの国境へと向かう。 間近で見ることができる世界最高所にある間欠泉(カイザー)の迫力と硫黄の匂いで眠けを飛ばしたら、約5、000mの高地にある温泉に浸かる。 ![]() ![]() なんとも秘境なところか。ここで飲むビールが格別でべらぼうに酔ってしまう。 温泉の後ろが湖になっていて、湖に流れるお湯が朝日を浴びてきらめく。 温泉から上がると、朝日はすっかり昇りきっていた。 朝日と雲が湖面に反しゃして驚くほどキレイだった。 僕らは何も考えることなく、ただ、呆然と見続けていた。 考えや言葉はいらなかった。ただ、その光景を見続けることが今だった。 湖と火山の間を駆け抜けてジープは国境へとひたはしる。 国境でミニバスに乗り換えたらこのツアーも終了となった。 ミニバスは、国境を越える。あっさりチリに入国である。 年間を通してほとんど雨の降らないカラカラの街。サンペドロアタカマにたどり着いた。 ............................................................................................................... 今、サンチアゴにいますが、明日から強硬突破で南下します。 たぶん、ネット屋はないので、次回の更新は、9日か10日なります。 ラスト2週間。走り続けますのでよろしくです。 2007年 03月 03日
世界最高所にある都市ポトシからミニバスに乗りウユニへ。
あいかわらず高地特有の見事な風景が360度パノラマに広がっていました。 ごつごつした茶ケタ肌をした岩山、地平線のかなたまで続く湿地帯。 と思いきや、殆ど草木のない荒野が続いたり、見事な草原とリャマの大群に出くわすこともしばしば。 そんな中、乗車1時間後、ミニバスは止まります。 検問です。 乗客全員外に出て荷物チェックです。 運転手がバゲッジルームを開けた!と思ったら少年が逃げたーーーー。 警官と少年の追いかけっこがここからえんえんと続きます。 観光客は一旦バス内へ戻され、そのおいかけっこを30分ばかし傍観。 ここは3,900mある高地です。少年と警官は1kmぐらい離れてそうな山までかけ上がっていました。 ていうか、地元民すごすぎ。 僕なんて、歩くだけでぜーはぜーはしているのに。なんで30分ぐらい走れるの? なかなか少年が捕まらないので、別の警官が先にバゲッジルームの荷物チェックを始めます。 すると、出るわ出るわのコカインくん達。 3kgぐらいの塊が20本ぐらい飛び出したぞ。 そりゃあ死物狂いで逃げますわ。 かつて、ボリビアやコロンビアは財政のかなり需要なポジションを麻薬の売買に頼っていたという。 その片鱗とも呼べるものを間近で見たことで、問題の深さと複雑さを思い知った。 何も判断力に乏しいこともを運び屋に仕立てるなんて。。。 子供が捕まったのか、コカインを大量にくるんだ袋と一緒に警官たちは立ち去った。 南米すごすぎと、僕の胸にまたもや深く刻まれた。 コカイン騒動で遅れを取ったバスは、予定より1時間半遅れの夕方の17時半にウユニに到着。 ツアー会社でまたもやイレギュラーな注文をつけて、 オプションで塩湖内の塩ホテルに泊まらせてもらうことにした。 そして翌日、ついにツアー開始である。 詳細の前に、ウユニ塩湖について説明しよう。 --------------------------------------- ウユニ塩湖は世界最大の塩湖で面積は12,000k㎡。標高3,760mの所にある。乾季は水が干上がってしまい、塩しか残らない白一色の世界。湖面は厚さ約12mの塩に覆われている。地平線の彼方まで白一色、湖面は塩の結晶でできた亀甲模様が続く。かつてボリビアを含めるアンデス山脈は海の底だった。地殻変動による隆起によってできた山脈で、そのアンデス山脈地帯にあるこの湖は海水を閉じ込めたまま隆起して、その後この地の激しい乾燥が全ての水を蒸発させ、現在のような塩湖を作り上げたのだ。 雨季になると湖面に数十cmの雨水が溜まり、それが空をそのまま映し出して、地上にいながらまるで天空の世界にいるかのような錯覚を覚える。 --------------------------------------- いうたら、行くなら雨季に行けというこっちゃな。 そして、現在はいわゆる雨季ド真ん中である。 テンションはうなぎ上りやでー。 ツアーのジープはランドクルーザー92年式。聞けばこれでも一番新しいとのこと。 ランクルは凄い。ジープツアーの最高車種といえば、どこの国でもたいていランクル。 ほんで、メーターが壊れるぐらい乗っているのに全然へっちゃら。ほんで快適。 すごいぜ、TOYOTA。いけいけ国産。負けるな日産。 なんて、車内でノリノリになっていたら、旧鉄道跡地に着いた。 昔、機関車が走っていた場所をそのまま残しているみたい。 どこまでも続く荒野に無造作に置かれた汽車が並ぶ。 ![]() なんて表現したらいいんやろ?この光景。 僕は自然が大好きだ。だから、遺跡とか人が作ったものも、自然とマッチしていないものはどうも好きになれん。 寺とかカテドラルとか宗教的なのは別やけど。 じゃあ、これはなーに? 自然とマッチしているとは思えん。 でも、引きつけられるものがある。 うまく説明できないけど、人間の身勝手さとごう慢さを見せつけられたような、そんな気がした。 最近、スタジオジブリのナウシカをよく思い出す。 自然は大切にしたい。そう思う今日このごろでありまする。 旧鉄道跡地を出発したら、あたりはカラカラに乾いた草原地帯に入る。 30分も走れば360度すべて草原ですわ。 さらに20分ほど走ると、地平線が白くなってきた。 始めは線だけだったが徐々に帯となって厚みを増していく。 ウユニ塩湖のはじまりや。 社内が騒がしくなる。 水は?水は張っているのか??? そして、車が湖の縁に辿り着く。 外を見ないように半眼にしたまま、車から降りる。 見えました。 まさに鏡の世界です。 ばっちり10cmぐらい水が張っています。 ![]() 鏡の世界に降り立ち、ひとしきり騒いだら社内戻り、鏡の国へと発進です。 ピーカンに晴渡った太陽の光が反射して目が痛い。目を開けるのが正直つらい。 取られたサングラスのことを少し思い出す。 だが、目を一瞬でもつぶりたくなかった。 この夢の世界にいるかのような景色を脳裏に完全に刻み込みたかった。 鏡の世界をジープは前進する。 塩山を作り乾燥させている職人と挨拶し、陸地に塩を運搬するトラックとクラクションの短い会話を交わす。 ![]() そして、鏡を切り開き波立たせながら進むこと30分。 前方に塩のホテル。PLAYA BLANCAが現れた。 >>>>>続きは後編にて。 2007年 03月 01日
いやー、ボリビアって凄いですね。
世界一標高の高い首都に飽きたらず、おつぎは世界一標高の高い都市ですよ。 旦那。 標高4100ですよ。富士山より350m ぐらい高いんです。 空気薄っですよ。 ちょっと国旗がラスタカラー入っているからって熱くなり過ぎていません? おはようございます。 あんたが熱くなり過ぎているだろうと言われそうな、ハッピーアキです。 そんなポトシに来ました。ポトスじゃあありません。どもっちゃあダメ。 こちらはウユニへの中継地点として有名。 カーニバル期間でバス激減していたので、見つけた瞬間飛び乗ってきちゃった。 今なお活躍中のセロ・リコ銀山(といってもとれるのは錫(すず))と、正面に鎮座するちびまるこちゃんにでてきそうな女性の顔が印象的な旧貨幣製造所 (Casa de la Moneda) が観光地として有名。 せっかくだからと両方行こうとしました。 セロ・リコ銀山は、活躍中とあってはっぱや掘っている様子を生で見れるし、旧貨幣製造所にいたってはどうしてもあの顔が見たくてしょうがなくなっちゃったんですもの。 で、ポトシについてみて気がつきました。 ラパスは終わったけど、ポトシは本日までカーニバル。 呆然と佇む僕の顔に吹き付けられた泡スプレーが身を持って教えてくれました。 案の定、旧貨幣製造所もセロ・リコ銀山に入れるツアーも休み。 街を歩くがどこの店も閉まっており、トラックの荷台から投げつけられる水風船の音と笑い声だけが道路にこだましていました。 だれもポンチョを着ていなかったので、僕も着ていません。 だから、ずぶ濡れでした。もう見事にね。 でも負けません。 それでも街を闊歩していると、すれ違うなんかの店の主人がなにやら話してきます。 どこからきたんや? あっ? 日本やて? やるやないけー、若いの。 ようきた、おっちゃんがビールをご馳走してやろう。 って具合に、ただ酒を3杯も4杯もご馳走になった。 しかも、そんなことが立て続けに何会も。。。 閉まっている旅行会社に入ってみたら、この時期はリャマを食べるんやといって、 頼んでいないのにリャマセットとビールをくれた。 やはり祭りは楽しい。 町中の目が輝いている。町中が子供に戻った感じだ。 酔いが回らないうちに、ミニバスでも行けたのでセロ・リコ銀山に行ってみる。 感想、、、ここはツアーで行ってください。ちょっと普通では行ってはいけないオーラが漂いマクリで入れませんでした。 負のオーラが漂っていました。 後で調べるとこんな感じ。 ====== 1545年、スペイン人により発見された銀山。セロ・リコ (Cerro Rico) とはスペイン語で豊かな丘という意味である。以後、スペイン統治下で中南米三大銀山に数えられるまでになる。しかし銀の掘削は、強制的に集められたインディオの奴隷により行われた。一説には、800万人が犠牲になったといわれ、人を食う山として恐れられた。 1987年、セロ・リコ銀山を含め、他の構造物とともに世界遺産に登録される。奴隷制度の象徴として、負の世界遺産にも数えられている。 ====== 現在も鉱山手は、1日24時間、8時間ずつ3交代制で、1日3$という賃金でほとんど休みなく働いているみたい。 そんなところに単身で行ってはダメでしょう。引き返してよかったわ。 でも、間近まで行って良かった。 世の中には、まだまだ自分の知らない世界があることに気付けたから。 この日は、子供たちとわんさか水遊びを楽しんだあと、高地ということを完全に忘れ、高山病を気にすることなく酒を浴びるほど飲んで旅の疲れをいやすべく12時間ばかし眠りこけたのでありました。 翌朝、ウユニへ向かう前、旧貨幣製造所の例の顔はおがんてきましたとさ。 2007年 02月 28日
こんにちわ。ハッピーアキです。
ここは日本と時差が12時間(ちょうど半日!)あるチリはラセレナにいます。 日本語が打てないので、Ajaxで日本語変換できるサイトを利用してアップしています。 ちょっとぎこちないけど、堪忍なー、 プーノからバスに乗りやってきましたボリビアです。 ティティカカ湖の右側にあるコパカバーナにまずは立ち寄る。 ここは、インカ帝国の初代皇帝マンコカパックが生まれたとされる太陽の島の玄関口。 時間がないので太陽の島には行かず、湖畔にたつホテルの最上階の部屋を取り雰囲気だけでも楽しむことに。 観光地化されすぎて良くないと聞いていたが、案外居心地よろし。 屋台や市場で食事を済ませれば安価で済むし。土産物屋も多いので暇にならんし。 ![]() ほんで、一歩ティティカカ湖にでれば神秘的な光景が広がるねん。 今は祭りの時期ということもあって、車は花や草でお洒落にデコレートされてる。 なんかチベットやネパールみたいやった。 ![]() 夕方は、サンセットを楽しむために足こぎボートを借りて湖に出た。 ホテルの窓からでも見えましたよ。そりゃあ、ばっちりとね。それがうりですもん。 でもね、沈む夕日に一歩でも近づきたいというのが人情だと思いませんかァー。 浜辺から200mぐらい沖に出る。 270度見渡せば水平線が広がります。 真正面に沈む夕日、その両脇は空色から徐々に夕日に引っ張られてオレンジから深紅に染まっていく。 そのさらに両脇はさらにゆっくりと青から暗い赤へと移り変る。 ![]() 太陽が完全に沈むと、待ってとばかりにオレンジや紫などそれぞれのドレスに着飾った空たちが、慌てて水平線に隠れて辺は闇になる。 この日々繰り返される舞台劇のような移り変わりがめっちゃ好き。 そんなわけで、コパカバーナは太陽の島の玄関口だけあって、最高のサンセットが楽しめた。 翌日は、ラパスに向けてミニバスに乗る。 バスは一路ティティカカ湖を囲む山へと上り出す。出発10分もしたら眼下にティティカカ湖が望めた。 なんーにもないところでインディヘナのおばちゃんが降りる。なにがあるんやと疑問をもちはじめたうちにバスは急カーブにさしかかり、そんな思いはいずこかへ。 渡船に乗って対岸に渡ったらティティカカ湖とお別れ。後ろ髪ひかれつつバイバイ。 車専用のボートに乗ってきたミニバスに再度乗ったら、一気にラパスへと参ります。 乗車2時間後、起きたらすでにラパス市。高台から盆地を見渡すと、ビルやコロニアルな家々やバラックなど、これぞ南米って感じ。 そう、ここはラパス。世界一標高の高い首都。首締め強盗の本場。 高山病や強盗の危険から一番ビクビクしていた都市。 そして、本日は2月18日。 カーニバルのド真ん中です。 雨が降っていたので宿についたらポンチョを着て外出。 目抜き通りのサンタクルス通りにいくと、通りの両側がスタンドになっていて、歩行者天国になっている。 様子を伺っていると、パレードがこちらであるみたい。 通りの脇にある屋台で昼食を済ませたら、再度通りの中へ。 いきなり水風船が飛んできて体に命中。 本に書いてありました。 カーニバル期間中は、旅行者は特に狙われます。 面白いやん。燃えてきたで。 とばかりに売人から水風船を買う。10個15円なり。 おもいっきり投げる。 スタンドの若者の顔面にクリーンヒット。 続けて投げまくる。 やばい、めちゃくちゃおもろいやんけー。 巨大シェービングクリームみたいな泡スプレーをおつぎは買う。 通り過ぎるおねえちゃんの顔面にスプレーをシューーッと。 続けておっちゃんの顔面にもシュー。 やばすぎる。自分の本性が丸見えになってきました。 一緒にいた日本人女性Rさん(プライバシー保護のためイニシャルで失礼)も、最初怖い怖いと観客席の後ろでビクビクしていましたが、一旦スプレーを持たせて引っ張って行進に参加させると変貌です。 道行く人々の顔面に泡をヒットさせまくって笑い転げていました。 身近な人の内面が知りたい方は、是非南米の水掛カーニバルへ。 ていうか、皆かけまくったりかけまくられたりしているから関係なしなんや。 行進に参加して踊り狂うパレード隊と一緒に進む。 両側から水風船や泡の応酬です。 僕らも負けじと応戦する。 行進がカーブにさしかかると、前対後で水風船戦争勃発です。 僕も水風船3こ持って戦いにはせんじましたが、帰り際見事に集団でめったうちにされました(泣) 本にこう書いてありました。 観光客は狙われます。時に雨がっぱを脱がされる時も。。。 雨がっぱのフードをめくられ、水を背中に入れられました。 やられたー。怒ると笑われるので、逆に笑い返したりました。 更新は細い路地へとさしかかる。 両わきからの攻撃が容赦なくなってくる。 おばちゃんが店の窓からホースで水をかけてくる。そして、バケツで。 顔がめっちゃ嬉しそう。 日ごろ、総統ストレスが溜まっているんやろう。 再度、道の前後で戦争ぼっ発です。 負けじとやりまくりました。 さんざん楽しんで宿に戻り濡れた服をクリーニングへ出す。 これ以上濡れたらあきません。服がありません。 ビクビクしながら外に出る。 ネット屋に入る直前、Rさんの顔面に泡スプレーがヒット。 本にこう書いてありました。 女性の観光客は特に狙われます。 ぶち切れる彼女をよそに、僕は悪いけど笑い転げました。 カーニバルですもん。楽しんだもんがちです。 その後も彼女は、何回も泡まみれになったそうな。 カーニバルを思う存分楽しんだので、次は自然編ハイライト。 いよいよウユニ塩湖やで。 人工物編のハイライトは、サグラダファミリアとマチュピチュ。 自然編は、チョモランマとサハラ砂漠とウユニ塩湖。 ガラパゴスは番外編。 2007年 02月 26日
お久しぶりです。ハッピー・アキです。
無事、チリまで抜けることができました。 安全さと物価の高さにカウンターパンチを浴びている今です候。 最近、更新が滞っていたので、今から頑張ります。 写真のアップを止めた途端、明らかにコメントが少なくなったからといって、すねているわけでは決してありません。ありませんとも。ないですよ。 そんなわけで、約10日前の日記となります。 ちょっとだけ写真もアップしてます。 マチュピチュのも少しアップしています。 -------------------------------------------------------------------- 船舶が航行する湖において、世界一高所にあるティティカカ湖にやってきました。 3,800m標高があり、普通に富士山より高い。 相変わらずの背丈の低い木々が生い茂る山々と草原に囲まれている、まさに高地。 伝説では、インカ帝国の初代皇帝マンコカパックが妹ともに生まれたところ。 スペイン語では、ピューマの島とか、石の島とかいう意味。 ケチュア語では、すべてが生まれた島というそうな。 クスコから素晴らしい高山の景観を楽しみつつ8時間ばかし、 そんなティティカカ湖はペルー側玄関口であるプーノに到着してん。 実は、プーノの町からティティカカ湖まではちょいと歩かないといけません。15分ぐらい。 行ったら、速攻目の前に広がると思っていたので、意表を突かれた次第です。 ここでの目的は3つ! 1.プーノで開かれているカーニバルを楽しむ。 2.葦(トトラ)で出来た島(ウロス島)で1泊。 3.インカの時代から変わらぬ暮らしをしているアマンタニ島でホームスティ。 結果から申し上げますと、 全部達成したわ。 というのも、2は普通にボートでいけるし、3はツアーでいけるから。 1に至っては、この時期なら毎日やってるもんね。 でも、着いた日はあいにくの雨。それもどしゃぶり。雨季って嫌い。 首絞め強盗は怖いし、ポンチョ着てても濡れまくるんでげんなりしたんで、 ソフトクリーム食って、飯食って、酒飲んで、後はツアー会社行って終わったわ。。。 翌日からは、念願のティティカカ湖の島巡り。 空はというと、もうそりゃあピーカンですよ。快晴! 本番には強いですね。 ボート乗り場まで行き、乗り合いボートに乗ったら約40分。 見えてきました。 これまたテレビでしか見ていなかったトトラ(葦)だけで作られたウロス島の島々が!!! あたり一面緑色の葦が広がり、その中に乾燥させたトトラで作られた家々が見えたとき。 ボートの観光客から歓声があがる。 空は真っ青。ティティカカ湖の水はお世辞にも綺麗とはいえないが、神秘的な緑と青の中間色。 そして、トトラの鮮やかな緑と褐色。 ボートが島の中のひとつに近づくと、これまた鮮やかな民族衣装を身にまとった女性たちが現れた。 ![]() 最初の島では、ウロス島の作り方(基本はトトラを適当に切って何mも重ねていく。腐ったらその部分にさらに重ねる)、トトラ舟の作り方、生トトラの試食(まずくないけど、味がほぼなし)、伝統的な歌の披露(なぜか、日本語のチューリップがあってびっくりしたわ)、後はお決まりのみやげ物の紹介。 半径50mぐらいの小さいな島。民家は10件もない。 島の中央には、池があり、鱒(トゥルーチャ)が養殖されている。水鳥も足に紐を結ばれ飼われている。 その脇には、トマトなど野菜が栽培されていた。 人間の生きる力を猛烈に感じた。 いろいろ、ガイドみたいな人に教えてもらったけど、 実際に自分の目で見て、感じて、質問して、それで得たことのほうが、遥かに得ることが多かった。 この島は小さいということで2つ目の島へ。 結構大きかった。学校や教会まであるし、すげぇ。 最初のほうが味はあったかな。 ホームスティしたかったけど、ベットのみが置かれた小さい三角錐みたいな家に案内された。 屋根、壁、床に至るまですべてトトラ。マットレスの下もトトラ。 昼食は、例の養殖されたトゥルーチャのフライ。 土臭かったけど、案外おいしくてびっくり。 (今は禁漁なので、釣ったらだめみたい。一緒に行こうって誘ったら駄目っていわれた。) ![]() 夢にまで見たウロス島でのステイ。でも、困ったことが1つ。 全体の中でも大きい島なので、日帰りの観光客が多いこと。ムード台無しです。 夕方にすべていなくなるまで、土産売り人の家に押しかけて日本語を教えたり、子供たちと遊んだりしてました。 田舎というか、物がそろっていないところの子供の笑顔はとにかく可愛い。 お金に対する執着心がやたらと強い子がたまにはいるけど、そんなん置いといてまじで可愛い。 物があること。欲しい物は(お金があれば)なんでも買えること。 それはそれで素晴らしい。 凄く素晴らしいと思う。 でもね。 ものがあるおかげで、日本というか先進国の人々の多くは大切なものをいくつも無くしちゃっているんじゃないかなって最近強く思う。 大人よりも子供のほうが概して純粋というかまっすぐじゃない。 だから、子供が顕著に現れだけかい? 海外を旅していて、諸外国の子供ばかりじゃなくて、実は大人もなんです。 心から人生を楽しんでいそうな人たち、笑顔にあふれた人たちが町中にごろごろしているんですわ。 日本にも、特に僕の周りには!?いっぱいおるけど、普通にごろごろしているねんな。 昔、カンボジアに行ったとき、親のいない子、片足のない子、でも笑顔が飛び切り可愛い子供たちを見たときにも思った。 幸せってなんやろ? 昔、ネプチューンの原田氏が「笑う犬の冒険(だっけ?)」で、「幸せって何だろう×3ぐらい」っていうコントみたいなのをしていたけど、それを最近週3ぐらいで思い出しちゃう。 隠れた名言です。 脱線してました。ウロスに戻ります。 夜は、ほのかな月明かりとロウソクの火で夕食を楽しみ、夜空を見やる。 と思ったら雲で全隠れです。 がっでむ。でも、寒い夜空に震えながら、雲の切れ間に望む星星も雰囲気があってようござんした。 翌朝は、アマンタニ島に出発です。 ウロス島から別の乗り合いボートに乗ること3時間。 ボートからはどこまでも続くティティカカ湖の湖面の青波と、遠くに見える稜線の美しい山々を眺めながら静かに日記をしたためておりました。 島に上陸すると、ホストファミリー(マリア一家)を紹介され、マリア宅に直行であります。 石畳の味のある坂道を登ること200mぐらい? そういえば富士山より高かったっけ?息が切れ切れです。 マリア宅はそこそこ裕福そうで、普通にトイレ(水は汲んで流します)もあったし、水道もあった。 部屋に案内された後、昼食に呼ばれた。 まずここで感動。 普通にコンロじゃなくて釜です。 ふいごみたいなやつで火をおこしております。 これやな。ウルルンです。 キヌアと呼ばれるヒエに似た穀物とジャガイモのスープ(こいつがうまい)で心を暖めたら、自家製チーズと自家製ポテトのフライ、そんでプーノから買ってきたトマトの薄切りにライス。 食後はムーニャと呼ばれるそこらで自生しているミントに似たハーブをお湯に入れたお茶。 こいつもやたらと旨い。 質素かもしれないけど、泣きそうなぐらい旨かった。 お客様が来たら、精一杯の心のこもったおもてなしをする。 そして、食材は地物を使う。 僕が目指していることをまたしてもされたから、余計旨かったのかも。 そして、マリアの笑顔と、その子供たちが連れて帰りたいぐらい可愛かったこともあり、しょっぱなから大興奮でした。 遅めの昼食を終えたら、島の一番高いところにあるパチャタタ遺跡に向かう。 登るにつれ、標高が高くなり、かつ日も沈んできて震えるぐらい寒くなる。 気合で登りきる。 中心は、年2回の祭事の時にしか入れないけど、途中の道や上からの眺望など存分に楽しめた。 昔も今も、人は眺めのよいところにお墓を建てようとしますな。そりゃあそうか。 マリア宅に戻り飛び切り旨い夕食を終えたら、ダンスパーティーです。 真っ暗な道をマリアに借りた民族衣装のポンチョを着て、懐中ライトひとつ手にして会場に向かいます。 家畜の羊の鳴き声と、牧羊犬の鳴き声、それに鶏の歩きながらコッコいう声、後は虫と風の音が支配している真黒の空間をひたひたと歩く。 会場に着くと、ランプ1つ灯された30畳ほどのスペースに民族衣装を身にまとった現地民、そして観光客がフォロクーレの音に乗せて踊りまくっていました。 僕も早速マリアと踊る。両手を取り合って腕を振りながら前後にダンスダンス。 マリアを右手で回したら、続いて僕も回してもらったり。 さすがラテンの国。皆楽しそうやな。 音楽がアップテンポに変わったら、全員で輪になって回りまくる。 ![]() いつしか、別の現地の女性と交代して踊ったり、わけのわからんテンションの高い欧米人と踊ること2時間ばかし。 高地であることを忘れて踊り狂ってもーた。 日本にいるときって、恥ずかしがってそんなに踊らなかったけど、海外に出てから(特にヨーロッパに入ってから)最高に好きになっている。 音楽がかかったら、踊りたくてウズウズしちゃうもん。 これも旅を楽しめている証拠かな。 その日は、最高に気持ちよく寝たのはいうまでもない。 翌日は、アマンタニ島と同じく昔ながらの生活を守っているタキーレ島を観光した後、プーノに戻った。 プーノの夜、強盗にビクビクしながら目抜き通りに出る。 トランペットなどの管楽器と太鼓の音が早速聞こえてきました。 町の中心、アルマス広場に出ると、人だかりです。 警察も多いので、警察にひっつきながら、最前線にでる。 みっけましたー。 色とりどりのきらびやかな衣装を身にまとった若い男女。 ゴリラやライオンのきぐるみをきた男性。 それらが音に合わせて、行進をしながら踊っている。 その中を縫うように踊りながら、仮面をかぶったデーモン小暮閣下のようないでたちの男性が、観客に襲い掛かろうと手に持った杖を振り下ろす。 観客は驚嘆の声を上げる、その数秒後、どっと歓声が起こる。 広場中、興奮のルツボです。 こんなんが2週間も続いているんかー。 ラテン恐るべし。 宿に戻る途中、シェービングクリームのような泡スプレーで顔面に泡をかけられた。 そう、水掛祭りももうすぐハイライト。 楽しむとしますかー。 最後に、 アマンタニ島やタキーレ島は、漁業や農業、そして民芸品の製作といった昔ながらの生活を営みながら日々を送っています。 ジャガイモや他の数種類以外の野菜や油や塩、果物、もちろん文房具や電化製品なんかはほとんど手に入りません。 ツアーでホームスティさせてもらっても、ステイ先に渡るのは500円~700円ぐらいみたい。 しかも、ホームステイはルートで決まっており、月に1・2回しかできないみたい。 ですので、この日記を見た後、アマンタニ島に行かれる方は次のことを意識してくださるとありがたいです。 1.民芸品をちょっと必死に売ってきてもびっくりしないで。 よいと思ったら買ってあげて。それでも日本で買うより種類が豊富で破格です。 2.米や塩や油、果物、文房具といったお土産を持参して。 ※お菓子は歯ブラシがなく虫歯になるので持って行ったら駄目です。 3.僕は素晴らしいホストファミリーに出会えたけど、人によっては上記理由からよろしくないファミリーにあたる場合も。 彼らの事情を考えて、大きい器で対応しましょうや。 観光客の好奇心で、彼らの私生活に足を踏み入れるわけです。 島に住んでいるもの以外、誰も彼らの島に訪れなければ、彼らはこのままずっと今までの生活を守れたかもしれません。 綺麗な自然があり、素敵な文化やわくわくさせるに十分な暮らしもあります。 でも、それらを体験する前に考えないといけないことはいっぱいあります。 ねっ?硬くなっちゃってすんましぇん。 ![]()
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